山吹と書くそう
ウィキでは
フキに似た黄色の花からきていると
山振と書いてヤマブキとも読むそうで
山に風がふき
しなやかに細い枝が振られる様をあらわすそうで
好きな当て字
庭は枝垂れ桃の白と桃色花びらが通路となり
垣根はヤマブキ色
若葉色の葉や草が春のツチイロを覆います
きれいだなあ
庭のしだれ桃も今日明日で花びらが空に舞ってしまうだろう5月半ばの暖かい陽気の本日
周りの森も一斉に若葉色に葉が開きだした
気温に植物は本当に敏感、人間も敏感にならなければなりませんね
ウイルス感染対策で、おうちに居ましょうと自宅に閉じこもっていると運動不足になりがちで
自宅で仕事をする機会が多い自分などは、昨年春まで、ジュースを置きポテトチップスを食べ、ながらの食事をしながらお仕事する、というマンネリ生活一辺倒
そこへ昨年6月に急性盲腸で病院に行ったとき、盲腸よりも太りすぎですねえ、このままだと一生薬を飲むようになってしまいますよ、まずは体重落として!と
お医者さんから厳しく言われまして
で、奮起いたしました
この感染騒ぎでおうちにて仕事をして太ってしまったわ、という方々に参考になればと思います
まずは甘い関係のジュースをやめました
次に3食のうち2食をごはんをやめて、ところてんか、寒天ゼリーを作り置きしてごはん代わりに食べました
あとは好きなみたらし団子は月に1回
寒天は、諏訪地方では一般的な食べ物で、ゼラチンではなく寒天、棒状か粉状になっていて、自分はローズヒップティーに寒天をとかしてゼリーとして冷蔵庫に作り置きし、ごはんの代わりに、おなかすいた時はおやつに食べてました
1か月2-3キロは簡単に体重落ちて、ここでもうすぐ1年、10キロ以上簡単に落ちました
かといって、無理もしないし、身体が軽くなったという感じも別になく
自身もそう痩せたという感じはないのですが
周りは、やせたわねえ、と
困った事が、病気? 大丈夫? と、勝手なる想像をしていただき
いえいえ、太っていたからダイエット
モデル体型にはあと10キロ痩せるとよいようですが、そこまでいかなくてもよいかなと
そんな感じです
俗に言う糖質ダイエット? でしょうか
でも、食べ物も、特におかずは気にはしなかったです
あとは、運動でもしようかなと、寒くなった冬になってテニス(テレビゲーム)を3ゲームやった程度で
です
太っちゃったわ、という方、お試しあれ です
そして、声を大きくして書いておきます
1年間ダイエットがんばって痩せたのです!
心配してくださっている方多いですが、病気で痩せたのではありません!
今までが太りすぎていただけですので!
声を大にして書いておきます(笑)
さて、今年です
とりあえず現体重でよいかなと思っているので
お菓子とかすこし食べすぎているのかなあ、と思いますが
ご飯は3食しっかり食べて、リバウンドしないようにがんばりたいと思います
でもモデル体型、うらやましいなあと
それよりも、ダイエットしても、この狸さんのぽんぽこお腹はへこむ事はないのです
ま、いいでしょう
来年も、同じ頃に枝垂れ桃は咲くでしょうか
近くの古木の山桜が今、満開、ひらひらと道路に舞ってます
さよなら春、
退院日、窓から見えるのは枝垂れ桜? 昨年からシクシク痛んでいた盲腸、虫垂炎で切りました
ネットで虫垂炎切ったというブログなどあるかなと調べましたら、急性はたくさんヒットしましたが慢性が少なかったので参考になればと、
また、自分の思い出メモとして書いておきます
虫垂炎の直接の原因は諸説ありますが、自分は明らかに極度のストレスが原因と思います
最初は昨年6月末、お腹全体がなんとなく痛く、吐き気もして1週間胃薬を飲んでいましたが、熱が38度と実際に食事をしていた時気持ち悪く吐いてしまったことと、右下腹と右腰が特に痛くなりだして
地元にある諏訪中央病院の総合診療科に行きました
そして診て頂いた先生が、CT撮影しましょうとなり
その後痛み止めとしてベッドで点滴始めたところ、若いお医者さんがひょっこり現れ自分の名前を呼び、盲腸、虫垂炎ですよと、
手術をしましょうと続けて言われたものの、こちらは青天の霹靂、仕事も消費税前で大詰め、短大も休む訳にはいかない
とりあえず
散らす事ができるとのことで、翌日そのひょっこり現れた先生の診察日に受診し、抗生剤と痛み止めで手術をしない事としました
加えて自分は暴飲暴食連続、人間ドッグにさえもかかった事がない人だったなか、太っちょさん過ぎると体重ダウンと厳重に注意をうけ、体重落とすために一念発起、食事をあらため運動して、お医者さんチェックしていただきながら
11月には血液検査の値もすべてOK
で、晴れておしまい・・・のはずが
しかしながら、シワシワと右腹がなんとなく痛いのです、と言いながら2019年は終わりました
そして2020年2月(実は1月にまた大きな精神的ストレスがあり、それが2月にでてきたのかなと思っているのですが)
右腹が重いように痛く、右足ついても痛い感覚が続き運転も右足つくのが少し痛くなってきて、週末近くのお医者さんへ
そこでCTとっていただき、腸室炎、疲労と診断、
痛み止めを頂き、翌週すぐに再びの諏訪中央病院のいつものお医者さんへ、そしてまた痛み止め頂き
そして2月終わり
痛みはずっと変わらず、でも血液検査の白血球の値も高くなく
されど、あまりにも重い痛みがシワシワと続くので、CTで検査、
CT撮影したら、ぷっくり虫垂が膨れており
我慢すれば我慢できる程度の痛さだったのですが
ちなみに先生も、切る事を決めた後それでもお腹の痛みが絶対とれるという事ではないかもしれませんよ、とは言われましたが
ただ、仕事の余裕もある時に切ってしまおうと決心し手術に至った次第でした
といっても、一度目は入院当日、何故か高熱を出し翌日退院
されど時間的余裕のある春は短く
二週間後に再びの入院
で
スパンと取れました、とお医者さんは家人に話してくれたそうで
二倍程に腫れて先端がうんでいたようです
それでも人間は普通には生活できるのだと我ながら感心しましたが
ちなみに入院から手術、手術後については
素人から見ても「完璧でした」という感想です
手術した主治医の先生は、日本全国どこでも同じですよ、と言われましたが
いえいえ、安心して入院から退院までできる事は患者側にしたら大切な、大きな事です
虫垂炎手術の予定表を先に頂いてあったのですが
手術前も麻酔医師、担当医師、手術看護師、看護師さん達が次々に予定表通りに説明、不安な事があったらなんでも言ってくださいと丁寧にフォローまでしていただき、当日夜まで普通食、翌朝は飲み物禁止で朝9時から手術
手術室の看護師さん達も気も遣ってくださる準備で看護師さんも女性が多く声かけてくださり安心テキパキと動き
そして3時間予定が2時間20分程度、手術室で一度目を覚まし、部屋で再び一度目を覚まし、午後3時まではぐっすり眠っておりました
そして、手術自体がはやかったですねえと、病棟の看護師さん達皆に言われながら
手術直後から予定表の1.5倍の速さで物事も進みだし
当日夜から部屋のなかを歩きだし、明け方まで看護師さんが眠れぬ自分に声をかけてくださりながら何度か点滴交換してくださり
痛みも点滴の痛み止めが自分で調整でき、当日夜から全粥ながらおかずは普通食
翌日朝には点滴外し、お食事も全粥とおかずは普通食
動いてくださいね、とは言われたものの
右肩とお腹のなかが動くだけで堪えられない痛みがあり、でも頓服を飲めば眠る事ができ、ベッドの上で起きたまま眠ったり、横になって眠ったり
夕方いらしてくれたお医者さんもまた優しい方で
するっととれましたね、歩いたほうが癒着もせずよいですよ、お風呂はいってもよいですよ、と親切に言っていただき
3日目は
お腹を押さえながら、4階から1階までノロノロ歩き方ながら階段で2往復できるまでとなり
主治医の方も休日お休みのなか出勤しての回ってくださり、明日退院してもよいですよっと
さすがに帰宅しても身体動かすと痛くなにもできそうにないため予定通りにしていただき
4日目は
また階段2往復の運動、身体の中と肩の痛みは同じ程度ながら、頓服すこし飲みすぎ看護師さんチェックはいり注意され
夕方には休日当番のお医者さんが顔をだされ、丁寧にごあいさつまでしていただき状態確認していただき
そして5日目
朝にはお腹を押さえながらも元気に歩いて退院いたしました
そして退院の翌日は、同じ中央病院に今度は母の付き添いできて、総走行距離150キロ程の自動車運転、道路の凸凹がお腹には響くものの問題なく運転もでき
その翌日には、短大にてマスクにビニール手袋万全の体制で1コマながら演習講義をこなすことができました(両日とも朝昼と頓服は飲んでおりましたが)
ちなみに、上の写真は退院日の窓から見えた枝垂れ桜、咲いていたら綺麗でしょう
下の写真は、退院翌日に母と訪れた時に病院玄関に器に飾られていたお花、ぱっと華やかに、母と二人で小さなお花見できました
あとは
時と共にお腹のなかの脂肪さん(筋肉ではない!)も痛みが薄れていくでしょう
ちょうど首都圏がコロナで大騒ぎになりだしていた頃で、もしもうすこし遅くなっていたら手術できなかったかもしれないと思っております
医療関係者すべての方々が、大変な忙しさのなか平常心で笑顔で耳を傾けながら冷静に医療に専念するのは、相当大変なものがあると思います
コロナも長野県内発生が多くなってきました
病院に患者である私たちがコロナを持ち込んではいけませんね
大変お世話になり、そして心よく手術を受け、退院できた事に感謝です
昨年夏から、母の白内障・脚静脈瘤手術、私の虫垂炎手術、諏訪中央病院のお医者さん・看護師さん・薬剤師さん・栄養士さん・入院サポート看護師さん、検査技師さんはじめ多くの病院に関わっている皆様には本当にお世話になりました
ありがとうございました、という事がありました