fuwari_fuwari ふわふわり

suwanagano~ながのひむかいこんにちは

はてさて南天どうしたらよいものか

 

お正月花などで飾られる南天、難を転じるという言葉から縁起の良い草花のひとつとされている。
本日お仕事にお伺いしたお宅の玄関にもたわわに実った南天が大きな壺に飾られていて、きれいですねえと見とれた。

写真は実家の南天。実家はちょうど自分が1歳の時に市の分譲宅地で家を建てたところ。それほど広い敷地ではないがマイホームを建て両親は庭に草木を植えた。

竹とか南天とか、芍薬とか。

マメな父が生きていた時は時あるごとに剪定をし、雑草をとり、好きな山野草を植えたりしていたが、父が亡くなり母も高齢になると山野草か雑草かわからず、植木はぐんぐん背が伸び。

この写真の南天。ちょうど手の届くところを数年にかけて切ってはお正月に使っていたが、ぐんぐん枝だけが伸びてしまい枝分かれする部分も伸びていく。
そして今年は自分の目の高さまで一本の茎しか残らず、目の上の高さから枝が分かれ実がなっていて、写真撮ろうとスマホをむけても見上げる高さ。

ん~、困ったなあ。

でもネットで南天を調べると、南天を切ると災い、邪気が入ってくる等と書かれており、なぜそんな事を書くのかなぁと、そんな事は信じたくないけれど、でも手をつけたくない気分。

ちなみに竹も黒竹を庭の隅に植えてあり、これがまた根が張る。縁起良いと言っても何度か株を切り、それでもとんでもなく離れた所にでてくるのをまた気づくと根から掘って切っているのだが。
ただこれも本当に偶然の偶然ではあるけれど、一度だけ竹の笹に花がついた時があり、珍しいねと言っていた年に父が亡くなった。
でも、笹も全部枯れたけれど、気がついた数年後にはまた葉っぱをつけてきたけれど。

そんな訳で、見上げる程になった南天

まぁしばらくは天に元気よくのびてもらおうかと。

昔の人は草木にいろいろな例えをつけたものです。おもいつくものは

「立てば芍薬座れば牡丹、歩く姿は百合の花」
美しい女性を表現しているのでしょう、芸能人に例えるとどんな人なのだろう。

「桃栗3年、柿8年」
実がなるまでこんなに年数がかかるんだよ、ということでしょうか。

「実るほど頭を垂たれる稲穂かな」
これは亡き父ややはり他界されてしまった尊敬する人が何度となく諭すように私に伝えてくれていた言葉。ようするにどんな時もいつになっても謙虚心で頭を低くしていろ、という意味。で、私は何でもごめんねと言えば済むもんじゃないわよと最近母に怒られる。でもね、頭下げることができない人って気の毒だと思う。

「言わぬが花」
余計な事は普段言わず、好きな言葉。

他に何があります?

花より団子とか?

やっぱり私はこの言葉が一番好きで

「人間は考える葦である」

大切な上に書いた尊敬する人から教わった言葉、そして都度困難な時とかに必ず独り言として口にする言葉、何度もブログ等でも書く言葉。

kotobank.jp

 

さて、1月中旬というのに雨が降った日曜日。明日から寒くなるという。

がんばりますか。がんばりましょ。