此処の夜道は秋風吹いて虫の音なってお経の音がぽんぽん聴こえ
なかなか気持ち良い夜歩きだった
義理の母が亡くなり1年、緩和ケア病棟に入院していた病院病棟から手書きのお手紙が届いていたのを主人が見せてくれた
郵便で届いてから数日はたっていたのだろうけれど、お寺に行き、その日に手紙が届ていたという話題になり、昨日見せてくれた
きっと彼の中で私に話すまで何か思うことがあったのだろう
がんばらないで有名の著者の鎌田先生がちょうど義母の入院日にいらっしゃり、ベッド脇にしゃがみ手を握り、もうすこし頑張りましょうねと励ましてくださってたのを覚えている
今まで父や実母やお見舞いなどに病院で医師の回診のときと遭遇したとき、椅子があったのにもかかわらず、ベッドの脇にひざまづくようにして顔を近づけ手を握った医師を私は見たことがなかったのでびっくりした
がんばらない、が、がんばりましょう
手をにぎる
それだけのことだけれど、大きな私の心に今でもあの場面は残っている
私の実父は、父母で鎌田先生のほろ酔い座談会を病院ロビーで聞き、緩和病棟を望んでいたが、たまたまかかっていた病院から、この病院に移るという最後の勇気が私にはなく母にもなく、医師も私達もまだそれでも大丈夫と思っていたなか急変して亡くなった昔々の出来事
お寺のお線香の香りとか、お経とか、生死が家族で迎えるまでは怖いイメージがあったのだが
怖さがなくなり、お線香の香りも嫌いではなくなった
緩和について家人と話したら、主人は動けなくなったらスパッと逝きたいと言う
高齢となった実母に聞いたら、父の痛みを見ていたから私は安らかに逝きたいわと言う
私は、そうねえ
痛みでのたうちまわって、なるようになるのでいいよと、言っている
そう
みんながまだ健康で、現実的な話としては話していないから勝手なことを話してる
呑気なイメージを持っているのだと思う
で
話を戻して
手紙を読み、ご自愛くださいという文章を読ませてもらって
緩和ケアって、もちろん医療的にも心身ともに患者に対してなのだけれど
結局は、そもそもが残される家族や身近な人などに対してあるのかなと
あらためて自分は思ってる
もちろん、患者本人の痛みを和らげ、本人のQOLをあげることにより家族や身近の人達に緩和になるという言い方もあるけれど
仕事でとてもお世話になっている方が、父親を看病しているときに父親から生き方から死に方までを教えてもらったという言葉を聞いて、緩和の根底って残される人達のもののためにあるのかなと、なんとなくその時もそう感じてた
ちなみに
私曰く、せっかくなら回復して退院した人とかにも1年後健康を祈るお手紙だせばいいのにと、先日まですったもんだしながらも入院していた母に話したら
母曰く、それは逆に営業に思われちゃうからダメでしょ、と
ふむ
そう、今回の手紙とかお寺からの法要は家族へのもの、もし退院のお手紙くるならば、それは本人へのもの、物理的に決定的な違いがある
緩和は、ちょうどグレーなところなのだなあと
¥そんなことを思った
ただし、子供だけは別と、私個人的に別と思っている
義務教育が終わる程の年齢の子供だけは、どんなことがあっても緩和に大人全力で向き合ってあげたいしあげるべきだと思っている
対して
おかげさまで、最初に入院した時の若いお医者さん達もそれなりに面白かったわよと家族の心配など知らぬままにケロリと笑い話にする私の母、
強し、、、お店に一緒にお買い物にも行くことができとても幸せなことで、大切にしなければと思うのだが
母の食べ物に対して私が神経質過ぎてすこし煙たがられてる
うるさいって
うるさいって失礼ね、でも他愛のない話ができることは幸せで
ところが自分は健康診断検査後、吐くわ気持ち悪いわ目の前チカチカ冷や汗でるわで救急のベッドになぜか横になりの、救急の医師には何の検査をしにきたって聞かれ、何しにったって、いや、こっちが聞きたい状態で
結局副作用でしょうねと、落ち着いたら帰宅してくださいねと、で
チカチカくらくらしながら会計いったら、検査代と救急診療代が加わったお会計で
、、、ボロボロ状態で帰宅したところ、検査しに行って具合悪くなって帰ってきて何しにいったんとあきれられての、、、ふらふらの2日間過ごしので
我なにしとんだってね、ほんと
まぁね
食べ物薬品アレルギーがこれほどひどかったのかと発見できましたが
耐えるしかないのですが
これがもうもうぎもちわるしですよ
ちょこっとお寺に行ってきたので書きとめておこうと思い書きました
神社もお寺も教会もお参りするの大好きだだれど
我思う、故に我在り
これかな、やっぱり
強くなりたいね