fuwari_fuwari ふわふわり

suwanagano~信州八ヶ岳裾野から諏訪湖周辺こんにちは

ススキが揺れる

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ススキが銀色に輝き風に揺れる

皆同じ方向に狐の尻尾のように見えて、同じ方向に風がふくと一斉に揺れて、なんだか一人おかしくてじっと見ていても飽きない秋

週末に台風接近とのこと、また連休に台風で、おうちが心配な人、観光地は外出をひかえての状態で、さまざまな事態が心配される

自然ばかりは人間耐えるしかなく、我が家も車庫は風防止で閉めてしまおうかと、移動はコロコロ軽自動車で本日から動こうかと、一応やはり慎重を考える

そんな10月半ばになる 10月半ばに台風、困ったものです 果物とか稲穂とか大丈夫かなと心配にもなる

昨夜は、面白い会合に出席する機会があった

市のなかに区があり区のなかに地区がある その区の人達の会合にたまたま出席する機会があり顔をだした

自分はとても面白いことに、地区の人達はほとんど知らないが、区の人達は仕事の関係上とか家人の関係上でお知り合いだったりお世話になったりしている方々がとても多い

昨夜は区にできた病院の先生の講演会と複数地区ごとのグループディスカッション、といっても私は区全体の事でしかの視点しかもたずわからないのだが

やっぱり病院がそれも最新の病院ができる事はよいこと、くわえて、このような会で検診と何度も先生が言われることはよいことだなとあらためて感じた

お隣の方が、ここどう? と私に聞かれた 風邪で行った私は、設備よいですよ、あとは行ってみてくださいとお話したが、特に田舎は、誰かが言ってその評判を聞いていくことが多い(私もそうだった) 地元でタクシーワンメーターで行けスーパーがすぐ近くという立地条件もよい、お年寄りなどにはよいのではないのかなあと
昼間診察に、夜講演にがんばっているお医者さんのお話聞けて元気をもらえた

また、同席した須栗平という地区のおじさんたちが、とても柔軟な考えと回転のはやさと仲良しさを見て、なんだかいいなあと見ていた

自分も実家では、いまだにご近所のおじさんおばさんからは、ちゃんづけで呼ばれる
年齢が近いご近所さんは、この年になっても、ちゃん、とか、君 づけでお話する

年老いた母を見て、隣のお兄ちゃんは(もう良いおじさん年代だが)、気をつけなよ、と、母に声をかけてくれる

この地区にも同じ温かさが育まれており、加えて

さらに実家よりも高齢化人口減少は進む地域において、移住者を受け入れてそれなりに柔軟に生活していこうとする考え方は、学ぶべきものが多かった

私自身は、地元でいう「よそもの」という言葉が意外に好きだ

実家でさえも、自分が生まれた時に市の分譲地に住宅がたったところ、そこで生活が生まれ、そして実家の地区のなかにだんだんとけこんでいった

排他的とかとも言われるが、その土地その土地で文化風習があり、逆に若者にとっては見張られている感覚あり嫌なのだろうが、小さい頃からの幼馴染は、何よりも気心が知れている安心感がある

そしてその文化は、また新しい子供達とそのお母さんお父さん達に受け継がれ、続いていく

少子化となっても、地区の人が少なくなったとしても、茅野は区のまとまりというものが大きい

それが時に縦割りとなり足かせにもなるだろうが、その問題は区以上の行政なり市全体で機能している様々な団体が公平に運営してく別問題になるだろう

そんな事を思いながら、こういう区全体の集まりって、もっとあればいいのになあと、少子化問題、高齢化問題、人口減少問題が切羽詰まっているなか、あらためて感じた

実家は、昔は、巻の運動会、隣組の旅行、地区のお楽しみ会、区の運動会、と、とても賑やかだった

方言でいえば、「ずく」もあったのかと思う

現代社会は、個人の家庭が子供の送り迎え、教育、仕事、親の介護などなど、働き盛りの人達が地域参加自体が難しい生活サイクルになってきており、加えて、自分たちの生活にそうそう余裕もないため、すべてをボランティアで動かそうという事自体も無理がある

ただ、

頭をつかい、原点の、ご近所づきあい、小学校の頃鼻たれ小僧小娘だった人達が、大げさあな事ではなく、ちょっと声かけあって、ちょっといたわりあって、ちょっとこれから自分の住む地域を、繁栄させるのも、今のまま継続させるのも、消滅させるのもまたひとつの方法、地区の人達が考えて選択して、よそ者の私達も地区の人にどっぷりはいる覚悟を持って行動するのも、距離を置くのも、関係を拒絶するのもまた選択のひとつだなあ

と コミュニティーは構築していくもの、高度成長時の各都市で行われた箱物をつくりマニュアル通りには人は動かない
加えて、あと30年もすれば、日本人外国人という分け方自体もナンセンスにもなってくるなかで、あらたなる地域、文化、生活の方向性が、その土地の人達の今の暮らしにも密接しているなあと、

そんな事を思った 気持ち的には、ならばせっかくならば、地区ごとでなくて区としてもうすこしまとまって考えの統一とか区政とかに統合してもよいのかなあとも思うけれど、それは昔からの生活圏もあり、、、無理かな(笑)

いろいろな考え方がある、ただ自分はアーカイブを研究しているうえでも、その土地ならではの生活や文化、教育、食育などは大変関心が高いため

消えていくのはもったいないなあと感じているが、ただ、変わりすぎてどの村も同じになってしまうのも、昔の市街地と同じ状況であまり好ましくないとも考えている

今がよい、は、実は若い世代とか移住の人達の感覚が大きいかなあとも感じている、昔から暮らしている人達は、上手に上手に暮らしていく方法を、この区の人達は、ちゃあんと考えてもいるのかなとも思った会議、そうやって縄文時代から暮らしてきたのかな

と 思った

その須栗平のおひとりの方が、真剣にUターンという言葉を口にされ、おひとりの年配の方が、移住者の人達の今回の会議参加に、いいんじゃない、と言われていた

同じ市内のなかでも、店のある地域に子供さんたちが住み、お年寄りが山に住むという暮らしも多い

姨捨山かと、ひどいことを冗談で言う人もいるが、その逆で、高齢者が広々とした大地のなかでのんびりと幼馴染と顔を時々あわせたりして暮らしていけるような、交通医療福祉サービスを構築すれば、固定資産税も安いし、空気も水もおいしいし、ストレスないし

置き換えてもし自分が70、80になった時、全部家の前の雪かきやって、タクシーでお買い物に行って、という生活は、、、無理かなあとも思うのですが

それは街中でもよほど立地条件がよくなければ同じことで

じゃあ、どうする?

せっせと労働をして、自分たちの生活を自分たちでどうにかできる程度の貯蓄をして
もしも皆が同じになれば、助け合ったり、他の余裕もできるのかなあと

そんな事も思った

んーー 切実ね 夏は信州、冬は暖かいところで住む、とかもいいですねえ

あれあれ、地域愛はどこ行った?(笑)

いろいろな視点を見れるチャンスをいただけたことに感謝でした

アーカイブ、実家の関係も面白いけれど、茅野のこの区も面白いですね

デジタル教育も始まることだし、少人数化している子供達の学校も多い事から、逆に密度の濃い社会科として小学生中学生が地域のじいちゃんばあちゃんたちのオーラルヒストリー収集も授業になるなといつも思っておりますし、それをプログラミングしてしまえば理科にも数学にも使えますね

マイナスではなくプラスに、仕事帰りでしたが、面白い集まりに参加することができました

お声かけていただいた方、ありがとうございました