fuwari_fuwari ふわふわり

suwanagano~信州八ヶ岳裾野から諏訪湖周辺こんにちは

時々幾何学的なものに癒しを求める時も

好き、こういう無機質な建造物。

ちょうど昨夜かな、BSで地方の街を舞台にするドラマがあって
長野県茅野をやっているのを見た。
電車で2時間で着くのですよとか、自然満喫とか、野菜美味しいとか。

観光PRにもなるのでいいことだなあっと見ていた。

そのなかでテーマとしてでていたのが二拠点生活。都会はストレスがたまるのだそう。今の時代は都会と田舎、茅野なんて空気が美味しくて、二拠点生活もよいではないですか、云々。

自分は普段は森に囲まれたところで生活している。実家は田舎の新興住宅街で窓を開ければお隣さんの家。でも空気は都会に比べ確かに凛としてすんでいて気持ちよい。ただずっと暮らしていると良さはわからない。

私にとっての都会という場所は、仕事をしにいく所か遊びにいく所。きっと都会で暮らしている人も茅野は空気がいいから仕事にしてもリフレッシュできるところ、遊びに行くところとか、そういう人が多いのではないのかなって思った。

別に二拠点生活を否定している訳ではない。

でも、都会で仕事していた自分や全国を転勤していた家人は、ん~~どうかなあ実際は、という感想。軸足が必ず何処かにあり、それが枝分かれして人間は行動しているような気がする。

HOMEという語源は村とか所有地とかと昔教わったけれど、狩猟時代に動物を追って移動していた人間がその地に種をまき農耕して村を住居を築いてきたには理由がある。

ネットがSNSがこれだけ繋がりの時代だからともいわれるが、人のぬくもりは会わなければ暮らさなければ伝わらない。

なんとなくコロナが始まり時代は技術は大きく変革したとも言われるけれど、だからこそ余計にも重要な人物は出社形態に戻されたり、そんな人達は家族とのアフターファイブを大切な時間として過ごしている。

都会でも地方でも、独りで暮らす人達も、なにか何処かでHomeを恋焦がれている人が多いから、よけいにも殺伐とした歯車に踊らされてしまう人も多くなっているのかな、ってそう思った。

私はちなみに家の中に籠っているのが大好きで。ワンワンワン。それはHOUSE。

別に家族が離れて暮らすことは昔からよくある。別居生活など転勤が多い人など昔からある。

親子供は血縁関係なので扶養義務なども生じるけれど、夫婦などはしょせん他人。彼氏彼女も他人。会社組織も他人の集まり。

なんとなく人間誕生から現在までの人類の歩みの歴史を振りながら、今流行りの二拠点生活云々という言葉が着飾った流行りのものに見えてしまったアタシでした。

両方の拠点に責任同じだけ持つことは私には無理だし、住民台帳はそもそも1か所。

行政はきっと二拠点から地方移住などを考えているのだろうけれど、どうなのかなあ。

少子化時代、今ではなく50年後を見据えて集約化にもっと力をいれる時期だと思うけれど。ある事を調べていて、街も生き物で生まれてから枯れていく様を見聞きして、そんな事を切実に思ったしだい。

排気ガスさえなければ私は都会好きだけれど。

そう書きながら実はワタクシ、りとる二拠点生活を送っておる真っ最中。

といっても確かにそうだけどうさあ、と、知る人が見れば笑っちゃうだろうけれど。

でも実感は効率とても悪い。パソコンひとつあれば何処でも仕事できる?

ん~~

無駄のほうがとても多いと実感しております。

いろいろな考えがあってよいと思います。私もそんな事を考えたのでした。